My History


学歴・職歴・音歴 等
三鷹市立K幼稚園 入園→卒園

 一貫して、担任のみどり先生に夢中だったような記憶が....
 優しくて、素敵で、美人で、ほんといい先生だったんですね。大好きでした(笑)
 また、産まれつきは左利きでしたが、この頃自分で勝手に右利きに直してしまう。
 またYオルガン教室に通う。
三鷹市立D2小学校 入学

 田舎(千葉)に帰ると、えっちゃん・のりちゃん兄妹にほんとによく遊んでもらう。
 えっちゃん所有のブルーバードをいたく気に入り、暇さえあれば運転席に潜り込んでいた。
 同じくえっちゃん所有の豪華なステレオセットにも興味津々でした。
 のりちゃんとふたりっきりのデート(お使いや山菜取りのこと)を経験したり、農作業のお手伝いで、耕運機(トラクター)の完全単独運転も経験したりで、すっかり大人の気分の頃(笑)
 また書道教室に通う。
 この頃は”よっちゃん、よっちゃん”と呼ばれる。

 学校のことはあまり覚えていませんが、今、はなちゃん・けいちゃんの相手をする時に本当に役に立つことがびっしり詰まっている時です。
 最近、この頃のことを一生懸命思い出している(笑)

横浜市立S小学校 転校(小5)→卒業

 父の転勤の関係で、横浜市に引っ越す。
 東京からの転校生ということだけで、スゴク注目されてしまう。
 また「放送部」に入り、いろいろと校内放送をしていたら、”低音の魅力”、”うぅん、マンダム”というあだながついてしまいけっこうとまどう。
 (やっぱり今でもゆるせぇ〜ん!(笑))
 しかしこの頃から、スタジオ、ミキサー、マイク、レコード等にはすごく興味があり、ちゃんとした器材が揃っている放送部のスタジオに入って、構成を考えて、時間が来たら自分で選んだBGMをかけて、いろいろな原稿をマイクに向かってしゃべったりするのが、とても楽しかった頃。
 6年は担任の白石先生(女性でベテランの方)がとてもいい先生で、クラスにとてもまとまりがあり、充実した最終学年を過ごす。
 淡い初恋もあったりしました。
横浜市立S中学校 入学→卒業

 友達の「男子バレーボール部」設立に参加して、バレーボールに熱中する。
 またこの頃、ギターを弾きはじめ、文化祭でもステージに立ったりする。
 さらに、自動車・レース雑誌を読みはじめ、友達と「ああだこうだ」と言い始める。
 学校の近くにある英語教室に通う。
 この頃は”やまぁ”、”やまっ”(や、にアクセント、ま、に少しアクセント)と呼ばれる。

 2年の時に引っ越した(両親が一戸建てを購入)ので通学時間が伸びるが、電車通学となり、始めて腕時計を買ってもらい、無性にうれしかった記憶があります。
 また両親が成績だけには厳しかったという記憶もあります。
神奈川県立YM高校 入学→卒業

 ”南部学区の一流校”と言われる、学区内の公立高校では一番ランクが高い学校に入る。
 当時プライドが高かったので、一番の学校しか目に入っていなかっただけのことですが。

 授業中にあくびしてたりすると、直接家に連絡して、「お子さんの規則正しい生活は親の責任です」という先生も(もちろん普通の先生も)いたりして、両親もより成績々々という感じになっていた頃。
 まじめに勉強していて、クラスで10番には入れるかという程度のものだったと思います。
 高3の時は、Yゼミナール大船校に通う。
 また「軽音楽部」に入って、ギター弾いて、バンド活動、ひたすら楽しかった。
 伊勢正三、石川鷹彦、吉田正美、ジョージ・ベンソン等にはまる。
 この頃は”やまさん”と呼ばれる。
 恋愛も経験したりしました。
S予備校 午前部 入学

 大学受験の試験が終わった時に、感触で「落ちた!」とわかり、落ち込むこともなくおそらく一番難しい予備校をさっさと受けに行って、受かって入学。
 メチャさめてたころ。
 模範的な受験生の一年間。
 でも、学校では教えてもらえなかった、数多くのことをここの先生方には教えて頂きました。
 僕の自信の一部は、間違いなくこの一年間で作られたと思います(おおげさ)
 決して負け惜しみではなくて、一浪してよかったと今でも思える一年間です。
Y国立大学 工学部 電気工学科 入学→卒業

 大学受験の試験が終わった時に、「受かった!」と確信して、受かって入学。
 一年の始めに、担当の教授の方から、成績がよければいい会社に入れると聞いて、いい成績が取れる程度に勉強する。
 また、生協委員をして、友達と遊んで、ひたすらギター、キーボードを弾いて、バンド活動、楽しかった。
 この頃、ラリー・カールトン、CASIOPEA、松岡直也等を知る。
 車の免許も取り、念願のドライブが趣味に加わる。
 お約束のように、一度事故ルしかし以降は無事故。
 この頃は”やまさん”、”よしひこぅ”(最初の3つは低めの同じ高さの音、こ、にアクセント)と呼ばれる。
 (どちらの呼ばれ方も特に気に入っていた。)
 最終的に、120人中20番程度の成績を取り、推薦で希望した企業に入る。
いわゆる一流企業(その年の人気ランキング1位)、N社に入社

 (↑あいかわらずプライドが高い、ふぅ)
 SE(システムエンジニア)としての道をスタートする。

会社は変わったりするが、SEであることは変わりません(変われません?)。

 担当システムは、汎用コンピュータ→ミニコンピュータ→UNIX→PCと一通り経験する。
 人間としては、少しは丸くなれたかなとは思う....

 社会に出てからは”山口さん”、”山口君”、”やまちゃん”と呼ばれる。

 バンドのメンバーの披露宴で演奏して、その時バンドで演奏する際に一番重要なことがなにかに生まれて始めて気づく(おおげさ)
(知ってる子は子どもでも知ってることです)
 しかしその後、メンバーの転勤等で演奏する機会はほとんどなく、以後はずっと聴くことが中心になる。
 CASIOPEAの奥の深さにやっと気づき、いっそうはまる。

 ある時、一度も一人暮らしをしたことがないことに気づき、藤沢市のアパートで2年ほど暮らす→納得して実家に戻る
 その時、E湘南スポーツセンター(E−SSC)のテニススクールに入り、テニスとちゃんと出逢う。

 仕事用にサブノートPCを自分のお金で購入する。
 (当然)遊びでもPCを使い始める。
 ミニタワーPCを購入する。
 ホームページを開設する。



EndlessFuture設立

 2001年2月15日 SOHO形態で、個人事業主として、屋号”EndlessFuture(エンドレスフューチャー)”を正式に立ち上げ、主にWebプログラマーとして本格的に活動を始める。

現在に至る。